『 素早く遠くへ逃れ、遅く戻れ 』Cito longe fugas et tarde redeas
さて
寝る前にブログ描きます。
土曜日は古美術界の有名な代表と
商談なんですよ(笑)
これはガレノス
やはり尊敬する医師の言葉になります。
ガレノス(AD129頃~AD216頃 / 古代ローマ帝国の医者・哲学者)
14世紀に大流行した「黒死病(腺ペスト)」は、わずか数年間でヨーロッパ全土に広がり、当時の人口の六割を死に至らしめたという。
黒死病がパリを襲うと、フィリップ6世はパリ大学に専門家を集め、1348年夏、議論の末にペスト治療についての意見書が編纂された。
そこには市民への行動規範として古代ローマ時代の医師ガレウスの箴言が引用された。
意見書には、当時、病気の原因とされた悪い空気「ミアズマ(瘴気)」を吸い込むのを避けるために、身体を疲労させないようにすることや、音楽に触れたりして楽しく快活に生活するようにつとめるよう奨めたり、食事に気をつけ食養生につとめることなどが記載されたという。
ガレノス(Aelius Galenus or Claudius Galenus)は、古代ローマ帝国時代の医師・哲学者。臨床医としての経験と多くの解剖によって体系的な医学を確立し、哲学や倫理学を含む解剖学、生理学、病理学、薬理学、神経学など様々な古代の科学分野に影響を与えた人物。
裕福な建築家であるアエリウス・ニコンの息子として古代都市ペルガモン(現トルコのベルガマ)に生まれる。広範囲に旅をし、さまざまな医学理論を発見、その後ローマに定住し、執筆活動や講義、公開解剖などを行い、名医としての評判を得て、ローマ帝国皇帝マルクス・アウレリウス・アントニウスの典医を務め、70歳代で亡くなった。
死後、中世ヨーロッパでは、解剖学に関する著作は医学大学のカリキュラムの主流となったが、西ローマ帝国の崩壊によりヨーロッパでは著作のほとんどが消失する。東ローマ帝国やサーサーン朝後期からアッバース朝時代にかけてガレノスの著作の研究が続けられイスラム医学に多大な影響を与える。11世紀にはイスラムから翻訳されたた医学書が西欧へと逆輸入されることとなり、サレルノ大学やモンペリエ大学、パドヴァ大学などで教えられ16世紀には西洋医学の正典となった。
特にガレノスは臨床学的には
凄くはありません。
でも解剖学や黒死病研究にかけては
超一流です。
ガレノスは解剖学で様々な研究で
今でも使われている基礎的研究を発見
した事になりますから。
黒死病が流行した時に真っ先に取り組み
研究をしたのが
ガレノスです。
薬理学では調合能力つまり
タバコならばブレンダーです。
まあ薬剤師さんのお仕事を分業制にした
今で言う調剤薬局を考えた人かな?
では明日は古美術界超大物と商談なんで
( ´ー`)y-~~したら寝ます。
今日はここまで
tomokazupipes